出石、宮津と舞鶴赤レンガ倉庫の風景
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出石、宮津と舞鶴赤レンガ倉庫のある風景

2009/05/24

5月の連休も終わった月中の土日、今は四ヵ所に離れた以前
同じマンションの仲良しさんたちと一泊旅行のドライブ
集合は2時にホテルのテニスコートでということで、ETC割引の
渋滞を見越してのちょっと早めのご出発でした

この日の天気予報は、昼から雨40%の曇り空、そのせいか
いつも以上に順調に走れる中国道、舞鶴若狭道に入り2009
年5月の時点で全国一きれいなトイレと言うことで有名になっ
た西紀SAに11時前到着
少し時間があるので、横道にそれてお昼ご飯は、出石のソバ
でもということで横道ぶらぶらの道草となりました


旧出石町役場玄関車寄せ  旧出石町役場玄関車寄せ  昭和13年(1938年)
出石町は、2005年4月1日に豊岡市・城崎町・竹野町・日高町・但東町と合併し、現在の豊岡市となったため町の名前は変わりましたが、但馬の小京都として江戸時代の出石藩の町並みを色濃く残す町です
この歴史が多く残るこの町の役場としてふさわしい建物
残り香だけでもきれいな近代建築を感じさせてくれる車寄せ部分でした


旧出石町郵便局
 旧出石町郵便局 昭和6年(1931年)
現在は、おそばやさんに使われていますが、出石の中心部辰鼓楼の向かい側に建っています

出石のおそばは、1706年出石藩主松平氏と信州上田の仙石氏がお国替えとなった時に信州から来たそば職人の技が地元の技法と混ざり出石焼きの白磁の皿に盛り付けられたものが、出石そばだそうです
ざるそばのようにひと盛で出てくるのではなく、複数枚のお皿に盛られるのは、出雲地方の割り子そばにもに似ています

ということで、お昼はもちろん出石そば、基本5枚に追加3枚、香り高いおそばのランチはこれはこれでとってもおいしいお昼ご飯でした


 カトリック宮津教会 明治29年(1896年)
後に現在の京都暁星高等学校の創始者でもあったフランス人、ルイ・ルラーブ神父が丹後地方のカトリック教会として船大工につくらせた建物、今でもミサで実際に使われている教会として、日本では現役最古の教会だそうです
お邪魔したこの日は、たまたま唯一朝の日曜ミサのない日だったので内部を拝見することができました
内部の床は、畳敷きで明治に作られた建物の様子を色濃く残し、建物の裏側に回ったら、とってもきれいな和洋折衷様式の姿も見ることができました

カトリック宮津教会   カトリック宮津教会の裏側



 舞鶴赤レンガ倉庫群 明治34年(1901年)から大正期にかけて構築
舞鶴赤レンガ倉庫群 天然の良港であった舞鶴は、明治時代に旧日本海軍の鎮守府となったころに、軍の巨大な施設を作るためのレンガ工場が作られ、ここで出来上がったレンガで今ここに残る建設当時は最先端の設備であった赤レンガの建物が作られたそうです
男たちの大和(yahooムービーを別窓で開きます) の撮影ロケ地としても有名になったこの街は、ぶらぶら歩くにはとってもいいところなんでしょうが、残念ながら重い雲から雨が降ったりやんだりのお天気模様、持ち前の面倒くさがり屋の性格から、車の中からの撮影では、せっかくの建物の姿はお伝えしづらい事を改めて感じた写真です



        市政記念館 旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫 明治35年(1902)竣工

      

        海上自衛隊舞鶴補給所 旧舞鶴海軍経理部衣料科被服庫 明治34年(1901)竣工

      

        左 >> 赤れんが博物館  旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫  明治36年(1903)竣工
右 >> 舞鶴知恵蔵 旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫 明治35年(1902)竣工

      



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