高槻市大学町 大阪医科大付属看護学校 昭和2年(1927) 私の学生時代は、阪急電車で大阪と京都の往復の毎日でした 当時も、京都へ向かう列車から高槻駅を過ぎればすぐに左手 に見えるこの建物 関西に多く残るヴォーリズ建築だそうで、クリーム色の洒落 た姿は、この建物に想い出を持つ多くの人に、幻滅させない 姿を残してくれていました ::: photo 2005/2 ::: 撮影場所
堺市鉄砲町 ダイセル(旧堺セルロイド) 明治43年(1910) 広い敷地内にいくつかの煉瓦建物が残っています 工場の中には、残念ながらお仕事上でのお付合い も、今のところないので入ったことは無いのです が、大和川の堤防と南海本線の社内から、優雅な 建物を眺めることができます ::: photo 2003/10 ::: 撮影場所
南海本線の堺駅を通過して、七道駅を過ぎれば、 ダイセル社屋の横を列車は走ります。 難波に向かう急行列車、ドア前に立っていたこの日 乗り合わせて列車がたまたま減速したので 携帯カメラで、偶然写せた1枚でした。 ::: photo 2007/4 ::: 撮影場所
堺市並松町 中山産業 推定昭和初旬 旧紀州街道沿いに建ってます 大阪から大和川を渡ってすぐのところに建つ このビルは、当時の堺の繁栄がしのばれる様 な趣がありました ::: photo 2003/10 ::: 撮影場所
堺市遠里小野町 大和川染工場 大正5年(1916) 明治29年に合名会社として設立されたた後、 日露戦争以来の陸軍色ともいうべきカーキー色を、 わが国最初に創案した大和川染工場は、陸軍省指定 工場として活況を続けていたそうです 訪れたこの日は、寂しいですけど煉瓦工場の解体 作業をしてました ::: photo 2003/11 ::: 撮影場所
堺市堺市大浜北町 国枝外科医院 明治末期頃 残念ながら2004/10 解体 昔は大阪窯業株式会社の建物だそうで、堺から 岸和田まで広く煉瓦の産地として栄えたそうです 1995.1.17 の神戸震災の時、この建物も外側煉瓦 の多くが剥がれ当時の新聞にも出ましたが、 今でも完全な姿を取り戻すには至っていません ::: photo 2003/10 ::: 撮影場所
大阪府堺市熊野町東1丁 堺印刷 昔、紀州街道として栄えた道は、今では阪堺線のチンチン電車 が走ります この建物は大小路交差点のすぐ近くに建ってます 過古の歴史に何度も登場する堺の地で、常に大小路(おおしょ うじ)は中心地です。 そんな街角に、ひっそり建っているこの建物、じっと眺めれば 塔屋の飾りや、組合わした屋上造りに、この建物を作った人の 心が感じるような建物でした ::: photo 2004/4 ::: 撮影場所
大阪府堺市浜寺公園町2丁 南海本線浜寺公園駅 駅舎 明治40年(1907) 私が子供の頃、浜寺海水浴場がありまして、向かいに淡路島を 見ながら、砂遊びをした想い出がうっすら残ります その頃の海は昭和30年代後半、自然保護よりいけいけ経済成 長真っ盛りの頃だったのでしょう。 一緒に海水浴に言った両親の友達の足に、べっとりとコールタ ールが付着して、「大阪の海水浴場も、これが最後かな」と言 った会話を聞いた記憶も残ります。 (昭和 36年 6月 浜寺海水浴場閉鎖) 木造住宅建築様式をベースにした明治生まれの駅から、海まで 歩くには、埋め立ての進んだ大阪臨海エリアでは残念ながら出 来なくなりましたが、懐かしい町並みの残るチンチン電車が走 る(阪堺電軌阪堺線終点)いい街です。 ::: photo 2004/8 ::: 撮影場所
岸和田市北町 南大阪信用金庫 岸和田支店 大正時代 信用金庫さんもH12年以降合併が進み、各地で 馴染みの信金さんが名前が変わりましたね この南大阪信用金庫は、旧泉州信用金庫と、 堺に本店があった泉陽信金が合併した信金さん です 泉州信金の本店は岸和田にありましたが、この 写真に写っている場所とは違うところにありま した 支店統合の結果この建物の名称は、岸和田支店 となっていました ::: photo 2003/12 ::: 撮影場所
岸和田市北町 中央会館 岸和田は1922年(大正11)大阪市・堺市に続き 大阪では3番目に市制を施いた街だけに立派な 建物が残っています 建物自体まだまだ現役として使われており、 お邪魔したときは、お習字教室の墨の香りが残 っていました ::: photo 2003/10 ::: 撮影場所
岸和田市魚屋町 成協信用組合 大正8年(1919) この建物が建つ、古城川に架かる欄干橋付近は、 岸和田ではいちばん賑やかな場所だったそうです 和歌山に本店があった旧四十三銀行から三十四 銀行岸和田、三和銀行岸和田支店、日本生命岸和 田支社、日本貯蓄信用組合岸和田支店そして現在 の成協信組と大正・昭和・平成の岸和田経済を 見守り続けています ::: photo 2003/10 ::: 撮影場所
岸和田市宮本町 近畿大阪銀行 岸和田支店 昭和初期 南海電鉄岸和田駅前から西に伸びる商店街の 入ってすぐの所に建ってます 商店街の中で、また当日建物前が、自転車の 集会所状態になっていたのでちょっとアング ルの狭い写真になってます ::: photo 2003/12 ::: 撮影場所 2009/11/18 nanaskiさまから情報頂きました ---以降頂いた情報です---- 近畿相互銀行の社史によれば、 交野(かたの)産業無尽岸和田支店として建 てられたものだそうです。 社史には「戦後すぐの南海岸和田駅前と弊行 岸和田支店」のキャプション付で現在と同じ 建物写真が掲載されています
岸和田市宮本町 西田クリニック 大正中期 南海電鉄岸和田駅前に建ってます 木造造りの洋館は、当時賑やかな岸和田でも ひときわ目目を引く建物だったのでしょう 綺麗にペイントされて、大切に使われて おられる様子でした ::: photo 2005/4 ::: 撮影場所
岸和田市岸城町 自泉会館 昭和7年(1932) 江戸時代には南町で酒造業を営む岸和田城下の 有力商人の末裔寺田甚与茂(てらだじんよも) は、紡績業(岸和田紡績)・鉄道業・電力業な ど多角的な経営を展開して、一代で巨万の富を 築き、岸和田の近代化を推し進めたそうです この偉業を称え建てられた岸和田紡績倶楽部 自泉館です ::: photo 2003/12 ::: 撮影場所
岸和田市積川町 株式会社 井上 岸和田の郊外にあります この地域の歴史から、古くは紡績工場とし て建てられたものかと思います 広くとられた煉瓦壁に丸い飾りが遠目から も綺麗に見えます ::: photo 2003/12 ::: 撮影場所
貝塚津田南町 寺田紡績 大正9年(1920) 貝塚市を流れる津田川が大阪湾に流れ込むの河口 に建つ寺田紡績は、明治45年創業 創業当時は目の前に青い海と綺麗な砂浜を前に、 赤い煉瓦が誇らしげに映えていたことでしょう 津田川に沿って長い煉瓦壁が続いています ::: photo 2003/11 ::: 撮影場所
泉南郡熊取町五門西1丁目10 熊取交流センター煉瓦館(旧中林綿布工場) 昭和初期 泉南地区には河内の綿花を原料に綿布工場が隆盛を 誇っていたようでこの建物も、そのうちのひとつだ ったのでしょう 今は工場を熊取町が買い取って外壁を生かして改造 2006年第26回大阪都市景観建築賞(大阪まちなみ賞) 大阪府知事賞を受けたこの建物 外壁以外に、過去の面影を偲ぶことはできませんでした この熊取交流センター煉瓦館のすぐそばに建つ 重要文化財に指定されている、中家住宅 江戸初期に建てられた大規模な庄屋住宅ですが 受付案内の方の丁寧なご説明と想像以上に大きな土間に 当時の莫大な財力を感じさせられた趣ある建物でした ::: photo 2007/5 ::: 撮影場所
泉南郡田尻町大字吉見 田尻歴史館 大正12年(1923) 明治から大正時代を通じて関西繊維業界に身を おいた谷口房蔵氏(大阪合同紡績褐ウ社長)の 生まれ故郷に別邸として建築 当時大阪の河内地方で産出する豊富な綿がこ の地域の紡績業を支えたのでしょう ::: photo 2003/11 ::: 撮影場所
泉南郡岬町深日 南海電鉄 深日変電所跡 明治44年竣工 (1911) 元々は、旧深日(ふけ)駅のそばに立つ変電設備だったものが 1944年に多奈川線が開業し深日駅は、多奈川線に移設。 変電所の活動も終えた今では、きれいで静かな姿を見せてくれます ::: photo 2009/11 ::: 撮影場所