大阪市東淀川区柴島1−3−1 大阪市水道記念館 大正3年(1914) 大正時代、人口の増え続ける大阪市民の水の供給を支えるために造られた大阪市水道局旧1第配水ポンプ場 建設当時、おそらくはわんどの広がる静かな川岸に、広大な土地のなかに大きな建物がそびえた時、 それを眺めた人たちの目にはどのように映ったのでしょう? 今は、琵琶湖や淀川水系の博物館として休みの日には子供たちの声が響きます ::: photo 2009/02 ::: 撮影場所
大阪市淀川区新高 阪急電鉄 神崎川変電所 明治43年(1910) 残念ながら解体されました 阪急神戸線に乗って十三駅の次の駅、神崎川のホーム 北側に見えるこの建物も綺麗な姿を見せてくれます 各駅電車に乗って尼崎方面への先頭よりのホームから 正面顔が見られました ::: photo 2003/11 ::: 撮影場所
大阪市北区長柄3 淀川旧洗堰アーチ 明治43年(1910年) 梅雨の隙間の快晴日 遅めのランチは、ふとミニサイクルで淀川べりまでぶらぶら 阪急電車からの車窓風景は、淀川河川敷に立って初めて納得の 遠大な風景でした 毛馬閘門の名で知られるこの付近立派な施設も目にすることができました >> 旧洗堰の説明パネル
毛馬第一閘門 明治40年(1907年) 淀川と大阪市内を流れる大川との水位差を2重水門にすることで、水位調整 を行い船の往来を可能とした設備 水都大阪を支えたひとつですね >> 毛馬第一閘門の説明パネル
眼鏡橋 大正3年(1914年) 第一閘門西側に、流れていた長柄運河に架けられていた眼鏡橋も今では、 移設され、風景の一つに溶け込んでいました ::: photo 2010/06 ::: 撮影場所
大阪市北区角田町 阪急ビルディング 昭和4年(1929) 残念ながら解体されました 柔らかな曲線をもつ建物です この建物ができた時代は、大正12年におきた関東大震災の 被災者救済の為に発行した震災手形処理が原因で日本中の 経済が混乱。 大手商社であった鈴木商店や台湾銀行の破綻。さらに昭和 4年の「金解禁」と「世界大不況」が重なって、大阪経済 は、大打撃をうけた時代だそうです。 そんな中、完成したこの建物を眺めた人たちの目には、 不安と混乱の世相の中で、明るい希望が見えたのでしょう ::: photo 2004/4 ::: 撮影場所
大阪市北区西天満2丁目 大阪市交通局曾根崎変電所 昭和11年(1936) 私の子供の頃、大阪市市営地下鉄は、路線拡充のピーク 新しく開通するたびに記念乗車券が発売されていました 路面を走るチンチン電車に地下鉄が取って代わり、その 路線拡充を下支えした建物ですね ::: photo 2005/3 ::: 撮影場所
大阪市北区天満橋1丁目 源八橋西詰風景 石黒商店 信号機の向こう側は、大川を渡る源八橋です この源八橋は、昭和11年に完成しましたが、それまでは大阪市営の渡し船が行き交う源八の渡として 川を渡るための多くの人が行き交った場所だったのでしょう そんな場所に残るこの建物、たぶん橋が完成する以前からの往来を見守っていたのでしょう ::: photo 2009/4 ::: 撮影場所
大阪市北区天満1-1-79 泉布観 明治4年(1871) 国道1号線を挟んで南側に建つ造幣局の応接所として作ら れたこの建物 (同じ敷地内に建っていたものの国道1号線が作られて分断) ここ数年、鉄の外壁で囲まれた何とも情けない姿でカメラ に写す気もしなかったのですが秋晴れのこの日、外を覆っ ていた粉じんカバーも取れていて鉄柵の隙間から見えたこ の姿 大阪市の「重要文化財「泉布観」の再生・活用」 発表から3年目。そろそろ自由に親しめる場になるのでしょうか? 以前に比べお化粧が利いているように見えました 奥に見えるのは、旧桜ノ宮公会堂です ::: photo 2011/10 ::: 撮影場所
大阪市北区天満1-1-79 造幣局 明治4年4月4日創業(1871) 明治新政府となり確固とした貨幣制度が必要だった政府は、 大阪に造幣局を設置、明治4年4月4日に創業しました 当時の建物の装いを残すものは創業当時の正門ぐらいだと 言われています 敷地内にある造幣博物館は、明治44年(1911年)に火力 発電所として建てられた建物を改装昭和44年(1969年) 博物館としてオープン この長い歴史を考えるには、相応の雰囲気を守っています ::: photo 2009/4 ::: 撮影場所
大阪市北区天満橋3 中西金属工業(旧天満紡績) 明治19年(1886) 大阪環状線桜の宮から大阪駅に向かえば、右側車窓に煉瓦建物が見えます 東海道本線も開通前(新橋と神戸を結ぶ東海道本線の全線開通は明治22年) やはり当時糸物の盛んな大阪の紡績工場として建てられました 当時の天満紡績設立者浮田桂造は、6代目の大阪商工会議所会頭 現在の双日ホールディングス、旧ニチメンの黎明会社である 日本綿花株式会社立上げの発起人にも名を重ねています 社会が「富国強兵」の掛け声とともに躍動した時代を、過ごしてきた 建物です ::: photo 2004/9 ::: 撮影場所
大阪市北区西天満 西天満小学校 入り口構えが立派です 毎年4月の入学生は、ここで記念撮影するのでしょう すでにセピアカラーになった写真を眺めている、 大勢の卒業生を送り出した歴史のある小学校です ::: photo 2003/12 ::: 撮影場所
大阪市北区西天満4 宇治電ビル 昭和12年(1937) 建物の正面左右にレリーフを掲げる白い端正な建物です 設計は、三井住友銀行と同じ長谷部鋭吉さん(1885-1960) 建物の設計段階から、多くのスケッチを描いて建物の イメージを固めたそうです ちなみに、こちらのレリーフは、雷雲・雨・電球を持つ女神 電力ビル(宇治電は関西電力の前身)にふさわしい姿です ::: photo 2004/7 ::: 撮影場所
大阪市北区西天満2 大江ビルディング 大正10年(1921) 立派なお顔を持った建物です 外壁、内部ともとても手入れが行き届いた綺麗な姿で 建物の中でお仕事する人達も、お互いにここを大切に 使っている思いが感じられます 正面から入れば売店、右手階段からは散髪屋さんと、 テナントビルの趣もあります 時間とご興味あれば、床屋さんで大正時代の残り香 探しも面白いでしょう ::: photo 2004/2 ::: 撮影場所
大阪市北区堂島中2 中央電気倶楽部 昭和5年(1930) 昭和7年に松下幸之助が、30歳台の経営者として、 ここで松下の第一回創業記念式を開きました 「・・この世から貧乏を克服し、人々に幸福をもたらし 楽土を建設することができる。松下電器の真の使命また そこにある」と全社員の前で訴えここにいた人全員が、 その後の松下電器の発展を硬く信じたそうです その時、建設後2年を経たこの建物今で言うピカピカの 豪華なたてものだったんでしょうね ::: photo 2004/10 ::: 撮影場所
大阪市中央区大手前2 大阪府庁 大正15年(1926) 子供の頃、官庁が並ぶこのあたりでもひときわ大きく 見えたのが、この大阪府庁でした 当時、前の道路は市電が走りその車窓からは、番場町 のNHK、大阪府警本部、大阪府庁を通り過ぎ、大手 前病院を眺め市電は天満へと到着します この頃の大阪城の京橋側は、焼け果てた工場の残骸が 残り、不発弾処理が完全に終わっていない広大な野原 今ではビジネスパークとして高層ビルの町へと代わり ました そんな光景を、この建物はずっと見続けています ::: photo 2004/9 ::: 撮影場所
大阪市中央区大阪城 1 旧大阪市立博物館 昭和6年(1931) 陸軍第四師団司令部として建てられたこの建物 とても立派な顔を持つ建物です ただ戦争に関連した建物には、様々な感傷を持つ人も多く 私は、戦後の昭和30年代生まれですが、子供の頃見た 京橋方面に長く残された、軍需工場(兵器工場)の焼け残った 姿が、妙に目に焼きついています ::: photo 2004/9 ::: 撮影場所
軍需工場であった砲兵工廠跡に唯一残る、当時の建物です 本館は、この建物に比べはるかに立派な建物だったそうですが 1981年に取り壊されてしまったそうです 昭和20年8月14日の空襲の最大目標であった砲兵工廠 当時、多くの人がこの地に通っていたそうです 戦争が終わりその後、長い間は廃墟跡が残されていましたが、 今では、多くの人に親しまれる公園へと変貌しました ::: photo 2005/11 ::: 撮影場所
大阪市中央区谷町6 三ツ山石井歯科 昭和2年(1927) 長堀通りを東に、大阪市内で一番の高台、上町台地に向かい 松屋町筋の次、軽い坂道のあるのが谷町筋です 谷町は、町屋風の古い民家や商店が残る界隈、この建物、 長堀通りに面して建つ小さな建物です 建物の歴史については詳しくは、知らないんですが 一階入口のひさしと飾り窓の綺麗な建物です 2009/5/20 追記 この建物を建てられた(施主)のお孫さんより嬉しいメールを戴き 竣工年も教えて戴きました 月刊誌「大阪人」2004年5月号には、こちらの建物が掲載され、 貴重な建物内部もご紹介されその瀟洒できれいな写真は多くの人に 紹介されたそうです 最近、今まで残されていた近代建築が、ぽつぽつと姿を消してい く中で、やはり歴史を重ねた建物は、関連の皆様やご家族の方の 思い入れや重ねたご苦労があって初めてそのきれいな姿が保てる のだなとつくづく感じさせて戴けたありがたいメールでした ::: photo 2004/11 ::: 撮影場所
大阪市都島区網島町10 藤田美術館の蔵 明治42年(1909) 明治時代に実業家として大きな財を成した藤田家は、骨董をはじめ 武術品にも造詣が深く、海外に流失する古美術品を自ら収集しその 数も半端なものではなかったようです 昭和20年(1945)の京橋空襲により、広大な藤田家本邸は消失しまし たが美術品を収納していた蔵は残り昭和26年に残った蔵を美術館と して今に至っています ::: photo 2009/06 ::: 撮影場所
大阪市西区北堀江1 川口教会 大正9年 (1920) 明治元年7月15日、神戸より一足早く外国人居留地 として開放された川口は、多くの外国人を迎え文明 開花華やかな時代の中、めまぐるしく発展したかに 見えた川口ですが、安治川河口という宿命から川か ら流れる土砂の堆積には勝てず大型船が入港し易い 神戸に貿易の街の座は取って代わられました 多くの貿易会社の去った後に、この地を選んだのが 欧米から布教にきた宣教師たち 大阪の古くからある学校や病院は、この地から始ま りとするところも多くあります ::: photo 2004/10 ::: 撮影場所
大阪市西区千代崎2-25-9 岩出建設大阪本店 大正9(1920) 残念ながら解体されました 旧三菱銀行九条支店 九条の土地のいわれは、江戸時代の林羅山がつけた 衢壌(じょう:にぎわい栄える土地)が始まりとか 明治維新から外国航路の窓口として急激な変化を見 せ発展した「築港(ちっこう)」 大阪市電の最初の起点となった歴史を持つこの街は この建物が建てられるだけの理由があった長い歴史 を「ぶらり歩き」で感じさせるいい街でした ::: photo 2004/10 ::: 撮影場所
大阪市西区九条南1-12-52 大阪市交通局本館 昭和5年(1930) 寂しいですが、2004/10 解体されました 別の部の担当者が交渉中のお相手先に、私の担当のお 問合せがありこの日の同行 九条駅近くのお客様での打ち合わせを終えての帰り道 運転中の別の部の担当者君、我慢を重ね続けていたお トイレ、最近急激に開放を進めているコンビニのトイ レ発見、道端に止めた車からの一枚です このアングルは西側から写していますが、東側からは 車寄せのある素敵なお顔が見られます この写真(西側)は、いわばお尻を写した写真ですが この1枚も私には、なかなか・・・と感じる風景です ::: photo 2004/4 ::: 撮影場所
大阪市西区新町2丁目 大阪屋 大正11(1922) 旧新町演舞場の一部を残して今では、書籍の流通問屋の 大阪屋さんの本社ビルとして大切に使われています もとの姿の新町演舞場は、大阪屋さんのホームページで 紹介されていますが http://www.osakaya.co.jp/kaisya/src/building.html とても立派な建物だったようです ::: photo 2004/07 ::: 撮影場所
大阪市西区北堀江1 北堀江病院 昭和4年 (1929) 曲線をもつ白い建物です 入口飾りに特徴のあるこの建物 今は、服飾雑貨・カフェ・インテリアショップの ひしめく街として、元気な「北堀江」の真ん中で 「静かに街の流れを眺めている」 そんな感じの建物でした ::: photo 2004/10 ::: 撮影場所
大阪市港区海岸通1-5-28 天満屋ビル 昭和11年 (1936) 大阪税関の西側に並ぶこの建物 サントリーミュージアムで開催されたダリ展に合わせて、 旧築港のお散歩で見つけたこの建物 曲線を持ったやさしい窓が、とても風情のある建物です 隣に佇む商船三井の建物と並ぶ姿は、とても絵になる風景です で 商船三井築港ビル 昭和8年 (1933) 天満屋さんも商船三井築港 ビルも車中からの携帯電話 での写真です 機会があれば撮り直し・・
大阪市港区海岸通2-7-23 赤レンガ倉庫 (住友倉庫) 大正12年(1923) 元の地域呼称は、築港(ちっこう)と呼ばれた大阪港の 突端エリア 今では、海遊館がある地域と言ったほうが、判り易いの でしょうね 大正時代に住友財閥が財政難の大阪市に提供した岸壁 (住友岸壁)のほとりに建てられたこの倉庫 大阪で残る、赤レンガ倉庫としては最大規模だそうです ::: photo 2007/03 ::: 撮影場所
大阪市生野区勝山北1丁目 プール学院清心館 昭和9年(1934) 2005.6月残念ながら解体されました 環状線桃谷駅 この駅は、西に向かえば警察病院のある落着いた住宅街 駅から東は桃谷商店街が続く市民派正等の下町 この商店街を抜け南に歩けば、この建物に出会います 女学校として名門のこの学校、私の小学校時代の幼馴染 が、ここに通いその彼女に学園祭に招かれて、私が校庭 からこの建物を眺めた事が、今から30年以上前の事と、 今打ち込みながら思い出しました ::: photo 2004/04 ::: 撮影場所
大阪市生野区林寺1丁目 源ヶ橋温泉(げんがはしおんせん) 昭和10年(1935) 環状線寺田町駅 昭和の中、頃寺田町の源ケ橋商店街から生野商店街と、 とっても長居商店街には母親に連れられてぶらぶら、 とても長い商店街の東の端っこには映画館があり、三本 だての白黒ちゃんばら映画を見た気憶が残っています あれから40年以上経った2008年12月の暮れ ちょっとした御用で寺田町をうろうろ 「せっかくだから」の同伴者の一言で、源ケ橋商店街を歩 いたのですが、子供の頃の多くの人が様々なお店を行き交う 風景は様変わりして、シャッターが多く見られる寂しげな様子 そんな景色を見ながらぶらぶらしながら、子供の頃に見かけた 建物見つけました 大阪市内には、昭和時代銭湯が多くまた銭湯という特殊建築物 の特性からオーナーさまの意向を反映した趣のある建物も多く ありました この源ケ橋温泉も外観だけでもとっても風情のある素敵な建物 です お風呂屋さん(銭湯)では、第一号の国登録有形文化財だそうです ::: photo 2008/12 ::: 撮影場所
大阪市阿倍野区旭町 阿倍野郵便局 阿倍野分室 昭和6年(1931) 旧阿倍野ホテル 元は写真右側の建物と一体でホテルに使用していました この建物の裏側に走るJR環状線、その先にある天王寺 公園から見えるこの建物の姿もなかなかのものです ::: photo 2004/01 ::: 撮影場所
大阪市阿倍野区文ノ里1丁目7 大阪市立工芸高等学校本館 大正13年(1924) 修業年限5年の大阪市立工芸学校として大正12年創立、 翌大正13年に現在地に竣工 経済の中心大阪で主に工業デザインと美術科を学ぶ 専門高等学校としてのこの学校 いかにもその趣旨にふさわしい顔立ちをした建物です 19世紀末から20世紀始めにモダンデザインとして活躍 したベルギーの建築家ヴァン・デ・ヴェルデ設計の 「ドイツ・ワイマール工芸学校」を参考に設計された そうです この敷地内には、1953年に定時制の学校、大阪市立第 二工芸高等学校として分離、大阪の経済発展と「工業 デザインを学ぶ」というニーズが強く感じられる歴史 です ::: photo 2004/01 ::: 撮影場所
大阪市天王寺区茶臼山町 大阪市立美術館 昭和11年(1936) 高野・吉野・熊野が世界遺産に登録されたのを機に 奥さんに連れられ「祈りの道」というテーマの特別 展に行きました 天王寺美術館は、久々のご訪問 花博(1990年国際花と緑の博覧会)当時に公園に柵 を設置、気難しい公園に変わったように感じます この建物、住友家さんが、美術館にする事を条件に 大阪市に昭和10年住友本家跡地を寄付したとの事 中之島の図書館も住友家の寄付だけに、大阪は国の 資本に頼らない、独尊構築の気風を感じます 私が覚えていたボート乗り場は、今では亀さんの泳 ぐ端正な池に変わっていました ::: photo 2004/9 ::: 撮影場所
大阪市浪速区恵美須東2 新世界 国際劇場 昭和5年(1930) とある休日の昼過ぎ、突然の電話により新世界で串カツを食べよう! 何の脈絡もなしに決定。 ジャンジャン横丁の串カツ屋さんに向かったのですが、まだ日も高い 4時過ぎの事 少し汗を流したほうが、ビールもさぞかしうまかろうとの事で、 新世界をぶらぶら。 フェスティバルゲートは、経営不振の残念な結果になってしまった ものの、以外に新世界の町は親子連れやカップルが行き交い、中々 の盛況ぶり。 一昔前の町並みとは大きく変わっていました。 大阪市浪速区恵美須東2 新世界 公楽劇場 昭和22年(1947) 公楽劇場は、寅さんの笑顔の看板はありますが、正面は進入禁止の ガードで囲われ、既に営業終了の様子。 いずれは、この建物も消えるのでしょうか・・ ::: photo 2006/6 ::: 撮影場所
大阪市西成区山王3 鯛よし百番 大正7年(1918) 今日は5月の連休後半の子供の日。 暇をもてあました私と、小学校からのお友達と二人で、 日本橋へminiSD購入の為だけのぶらぶらドライブ。 行きの車中で見かけた飛田の文字から、囲い塀の残る街、 飛田をぶらぶらしました 通天閣からも程近いこの場所は、1916年に生まれた飛田遊郭 その中でも、絢爛豪華な建築様式で今でも目を引くこの建物 近くで見れば、窓の上飾り等にも細かな細工が施され、昔の 艶やかさがしっかり残っていました この遊郭街と市中を区切る壁は、門柱(大門というそうです) 跡に沿って残っています。 様々な人々と、そこで生きる人の姿を、壁の奥底に記憶してい る事でしょう ちなみに昭和30年代生まれの私、1958年(昭和33年)の売春防 止法以前の様子は、存知上げてはおりません ところで目的のminiSDですが、128MG 1280円での購入でした ::: photo 2006/5 ::: 撮影場所
大阪市西成区天下茶屋3 梅谷歯科医院 大正11年頃(1922) 南海電鉄天下茶屋駅から南に向いて5分程度で白い きれいな洋館が現れます オーナーさんが、この建物をとても大切にされてい ることがしっかり分かる手入れの行き届いた建物 国の登録有形文化財にも指定されているだけに、 地元の街の方々からも長年親しまれた建物でしょう ::: photo 2008/2 ::: 撮影場所
大阪市西成区天下茶屋 スーパーサンコー 太閤秀吉が立ち寄り、お茶を飲んだという逸話が、 この地名となった天下茶屋(てんがちゃや) 大阪市内の下町風景が濃く残っています 写真の建物は、詳しく知りませんが、昔の公民館 のようなたたずまいを見せてくれます ::: photo 2004/2 ::: 撮影場所
大阪市西成区玉出東 南海電鉄 玉出変電所 明治44年(1911) 南海電車は、古い建物が比較的多く残っていますが この建物も創業時の南海電車の面影が残っています 難波駅からの複々線の分かれ道岸里玉出駅は、高野 山に向かう高野線と和歌山に向かう本線に分岐しま すが、このY字に分かれてすぐの高野線側に建って ます 私の子供の頃にはこの隣駅、高架になる前の天下 茶屋駅の車庫も煉瓦作りの立派な建物がありました ::: photo 2003/12 ::: 撮影場所
大阪市東成区大今里西2-5-12 大阪セルロイド会館 昭和6年(1931) 明治36年第五回内国勧業博覧会で多数のセルロイド 製品が展示され大阪のセルロイド産業は大いに発展を 続けていき、昭和二年に設立された大阪輸出セルロイ ド櫛工業組合が製品検査場とかねたこの建物 上の写真が昭和6年に完成した北側半分です 下の写真は、その後昭和12年に完成した南側 どちらもモダンで美しいフォルムを見せるこの建物 当時の街の人には自慢の建物としてなじまれていた ことでしょう 近くの散策では、同じ時代をすごしてきた素敵な お顔の建物も見つかりました ::: photo 2008/2 ::: 撮影場所