トップ > 街角Menu >このページ 本町から中之島までぶらぶら 御堂筋は、北に向かう銀杏並木が綺麗な通りですがこの銀杏並木 難波から中之島、中之島から梅田までそれぞれ違った顔を見せます ここでは、この御堂筋を中心に建物探しのお散歩です 堺筋とは三休橋筋で分かれ目にしました
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大阪ガスビル 昭和8年(1933) 大阪市中央区道修町4丁目 昭和8年地下鉄御堂筋線が開通し、淀屋橋から南側 のビル開発の第一号がこのビルだそうです 島屋や大丸も昭和8年、地下鉄開通は当時の 大阪にとって一大イベントだったようです ::: photo 2003/11 :::
板谷歯科医院 大正後半 大阪市中央区淡路町3丁目 3階建ての建物です。 コンクリートと煉瓦飾りの色合いは、がっしり感 を与えます 当時完成したばかりのこのビルの丸い飾り窓の 内側から見た大正時代のこの街は、はたしてどの ように写ったことでしょう (場所は次の清水猛商店と向きあって建ってます) ::: photo 2003/10 :::
清水猛商店 大正12年(1923) 大阪市中央区淡路町3丁目 2階から上に伸びる飾り窓は、中から賛美歌が聞 こえそうですが、こちらのお商売は家具室内装飾 正面入り口のひさしを支えるような吊飾りが強い 印象を与えています ::: photo 2003/9 :::
芝川ビル 昭和2年(1927) 大阪市中央区伏見町3丁目 もとは芝蘭社学園という女子教育の校舎だった そうですが、どちらか言えばどっしりとした威 圧感を印象付ける建物です 大阪空襲の焼夷弾の被害の跡が残っているビ ルとも言われているようです ::: photo 2003/11 :::
大阪市消防局今橋出張所 大正14年(1925) 大阪市中央区今橋4丁目 今では、使われていない大正生まれの建物 シャッターで閉じられた部分には、当時立派な 消防自動車が置かれ、この街の人たちに安心を 与えていたんでしょうね 周りの建物に比べてちっちゃな建物ですが、街 の景色に馴染んでいます ::: photo 2004/07 :::
戎屋北野 昭和5年(1930) 大阪市中央区平野町4丁目 ちょっと見上げなければ、気づかずに通りすぎ てしまうように、街に溶け込んでいます 立ち止まって眺めれば、棟屋の装飾も綺麗な建物でした 追記 「建築は昭和5年。 戦災にもガスビルとともに焼け残り (中はぼろぼろだったらしいですが) なんとか改築もせずに側だけ保ってます。」 このコメントは、この建物を「我が家」として 過ごされたEddieさんから、戴いたメールを一部転載させて 頂きました 戦災末期、大火が収まり放心した方々の目に映ったこの建物の姿 きっと多くの人の心を、励ました事と思います (2005.6.23) ::: photo 2004/09 :::
大阪倶楽部 大正13(1924) 大阪市中央区今橋4丁目 南欧(ローマ)の市街地建築を基調にデザインされた この建物は、大阪の近代三大名建築にも入るとの事 内部の作りもとても上品で今では一日一組のウエ ディングも行われているようです ::: photo 2003/11 :::
石原ビルディング 昭和10年(1935) 中央区北浜4丁目 淀屋橋交差点南西角に立つこの建物 直線ラインが建物を特徴づけています 上部階層の、大きな飾り窓も綺麗な建物です ::: photo 2005/6 :::
旧愛日小学校 昭和4(1929) 大阪市中央区北浜4丁目 残念ながら解体されました 現在は大阪都市協会が使用、裏側の校庭は、駐車場 に利用されています 淀屋橋の街の中に建ちながら、今ではすっかり静ま り返った校舎 耳をすませば、元気な子供達の声が聞こえてきそうです ::: photo 2004/9 :::